英語における接続法
スペイン語の接続法の使い方がとても難しい。
日本語では直説法/接続法なんて区別しないし、直感的に非常にわかりづらい。
先日、神戸市外国語大学の以下の論文を見つけた。
数百年前に日本を訪れた西洋人、主にスペイン・ポルトガルから来たキリスト教伝道師たちが日本語を理解しようとする中で、日本語には存在しない接続法を想定し、日本語のいくつかの言い回しを接続法として分類しようと試みていたという点が非常に興味深かった。
結論から言えば日本語には接続法は無いし、西洋人たちもしばらくしてそのことに気付くわけだが、個人的には少し違和感を持った。
それは、
「接続法って例えば英語にも無いよね?」
「何故、日本語が接続法を持たない言語である可能性をまず疑わなかったのか?」
この疑問は、ちょっとググればすぐに解決した。
「そもそも英語には接続法がある」
Wikipediaの上記ページにも書いてあるが、英語の
①仮定法過去:定番の"If I were a bird, I could fly."とか。
②仮定法過去完了:"If I had caught the train, ..." 「電車に間に合ってれば云々」とか。
等はスペイン語やポルトガル語等における接続法と同種の「法」"mood"ということになるらしい。※太字部分の動詞or助動詞が接続法をとっている。
①・②のケースは文法用語としては"subjunctive mood"に分類される。この"subjunctive mood"、和訳するならやはり「接続法」とするのが自然なのだろう。何故日本人は「仮定法」という用語を編み出したのだろうか…?
そしてさらに、Wikipediaにある3番目の「英語の接続法」例が
③仮定法現在:「彼がここにいる事が必要だ」"It is necesary that he be here."
である。自分はおそらく、学校で全くこれを習わなかった。(つまり大学受験英語の範囲外なのか?)習っていないがゆえに、that節の動詞が原型になっている上記の例文には違和感を覚える(笑) 。that節以下を"...that he should be here"とする事もでき、この場合も仮定法現在に分類されるらしい。しかしshouldはshallの過去形なのでは…?それにこのケース③は「仮定」という語のイメージからはかなり離れた用法だと思われる。
西:Es necesario que él esté acá.
英:It is necessary that he be here.
としっかり接続法で訳してくれた。
英語も一応接続法を持つということが分かったが、どうやらインド・ヨーロッパ語族は基本的にこのmoodを持つらしい。ということは英語の接続法はフランス語やあるいはラテン語の影響とかではなく、はるか昔の印欧祖語から受け継がれてきたのだろうか。
想像するに、16世紀に日本に来た伴天連達においては、中国語のような(接続法を持たない)非ヨーロッパ言語の素養を持った者は限られていたのではないか。それゆえ、冒頭に紹介した論文にあるように、日本語に接続法が無い、という可能性を見落としていたのではないだろうか。
就活11
自分の場合、本命の企業とその同業他社数社、さらに面接の練習のために金融を複数社受けた(えてして金融系の面接は他業界より早く始まるので)。2業界で約30社というのがエントリー数で、就留しているわりに大した数ではなかった。
もう書いてしまうが、結局M3の5月頃までに第二志望の企業と金融一社から内定を貰い、自分の丸1年近く続いた就活は終わった。意外とあっけないもので、30社しか受けていないのは短期で決まってしまったためでもある。
見方によっては東大院生が売り手市場ですんなり内定を得ただけであり、実際その通りなのだが、その前年には同じ人間が企業から門前払いを受け続けていたのも事実である。
当たり前の話だが、就活市場は売り手と買い手のバランスで成り立っており、いかなる状況でも同じ学生に同じ値が付くとは限らない。
自分は売り手市場の中で就活を終えたが、後の世界金融危機に起因する超就職氷河期に就活していたら、おそらく全く違った結果となっていたことだろう。
就活がその後の人生に及ぼす影響はかなり大きいが、そこで重要な要素である、就活市場における学生の市場価値が外部環境にかなり左右される点は留意しておいた方が良い。結局運の要素が大きすぎるのだ。
そんな人生をベットした運ゲーをプレイするため、手書きで何十枚もESを書き、時に面接で心無い言葉をかけられ、そして無慈悲に祈られたりする環境を受忍せざるを得ない、というのが当時の、そしておそらく現在も同様の就活生の状況であろう。
これは何とかすべき問題だと思う。自分に妙案があるわけではないが、やはり運ゲーの要素は将来的に多少なりとも緩和されるべきだろう。世代間の極端な機会の不平等は、社会の統合と安定を、極めて不安定化させるリスクがある。
しかし、当事者たる就活生は就活が終われば労働者としての生活に追われていくわけで、継続的に声を上げる主体がいない、という事でもある。また一方で、就活氷河期に不本意な就職をせざるを得なかった世代が歯をくいしばって日々を耐えているのに対し、社会は驚くほど無関心だ。
とりとめが無くて恐縮だが、自分の就活記として書くべきことはだいたい書いてしまった。
一口で東大生と言っても当然色々な背景の学生がおり、今日もどこかの学部で誰かがドロップアウトしつつある。学生数を考えると、この尤度はかなり確からしいと思う。
レールを一度や二度外れても、意外と復帰できるものだ。まあ何を持って復帰というかは人それぞれではあるが。
様々な要因で大学生活が破綻した(或いは破綻しかねなかった)学生の一事例として、自分の恥ずべき学部留年記と就活記(就留記)を書いた。
就活10
就活のポイントの一つとなるのが、同業他社を複数受けた方が学生にとって何かと得だ、という点だと思う。
企業側によくある一般的な考え方として、当社を受けるからには当社の業界そのものに興味を持っているはずであり、また同業他社がこの学生をどう判断したか(選考が進んでいるかor内定を出したか)というのはしばしば有力なエビデンスとなっているようだ。(しかしそれでいいのか?日本の大企業には学生の内面的な資質を見分ける能力がないのでは?というのは毎年提起されるテーマであろう)
同業他社を受験すると、業界の志望動機を使いまわせるので、その分ES作成にかける時間を節約できるというメリットもある。
さらに、業界1位と2位の企業のそれぞれの強みと弱みを把握したうえで、それを志望動機に反映させたら、わりと完成度の高いESになると思われる。
因みに留年の件は必ずと言っていいほど質問された。
自分は適当に、バイトor旅行してました、などと微妙に事実と異なる内容を喋っていたが、本件が選考に影響したかどうかは正直分からない。
一社だけ、最終の役員面接で留年の件を聞かれた会社があった。具体的に学部では何単位足りなかったの?という質問に対し、自分の場合はすぐに答えが出てこなかった。まさか正直に答える訳にもいくまい、としどろもどろになってしまい、そのせいかどうか不明だがこの会社は落ちた。
今回の就活に関しては、ESではねられるという経験はほとんどなかったし、各面接の選考もテンポよく進んでいった。前年に苦戦していたのは何だったんだ、という感もあるが、これが本来の学歴の力というものなのかもしれない。
学部留年10
筆を擱くと言っておいてすぐに再開してしまうのだった。
学部で留年する羽目に陥った状況について、かつて自分なりに分析・総括しようと試みた。いや、大学を出た後も未だにこのことを考え続けている。
3回生時に以下の二点を発症してしまったのが、留年の直接的な原因である。
・生活サイクルの崩壊=昼夜逆転
・講義をサボる
毎朝適切な時間に起きて家を出て、学校なり会社なりに出かけるという何でもない事が、ある種の人間にはちょっとした難題になりうるのだ。
自分は院生時代、入眠する前によく考えていた。
このまま朝目が覚めず、寝続けたら大学をサボることになる。恐らく次の日も日中は起きれず、サボり続けることになるだろう。きっとしばらくすると大学への恐怖感が産まれ、ついには二度と社会復帰できなくなるのではないか?
実は眠りは恐ろしい。
自分の好きなハチワンダイバーという将棋漫画に、日常と非日常、常識と不条理の世界を隔てる壁は極めて脆弱で容易に砕けてしまう、という台詞がある。そう、「薄氷一枚」である。
自分の足元の氷は、大学3年のあの日に砕けたのだ。ただそもそも自業自得な点を考えると、むしろ自分で氷を踏み抜いた上で飛び込んだといったほうが良いのかもしれないが。
留年で一年を棒に振ったことはもとより、半引きこもり生活だった2年弱の間にだいぶ脳が錆びついてしまったと思われるのが、返す返す悔やまれる。
5年かかって学部を卒業した際は、これからはまっとうに生きよう、規則正しい生活を維持しよう、と思っていた。まあ、結局大学院で就留してしまうわけだが・・・
就活9
一学年下にまじって就活を再開したわけだが、その後はあまり書くネタが無い。
というか、ネット上にいくらでも転がっている平凡な就活体験記の一つでしかない。
前年に自分はある程度就活らしき事をしていた訳だが、全く内定に繋がらなかった。いくつかの理由は、改めて就活を続ける中で段々分かってきた。
①一次募集を受けなかった(書くまでもないか・・・)
②学歴に見合わないほどマイナーな企業を受けている
③同業他社を受けていない
④学生時代に力を入れたことは、という質問に答えられない
⑤他社の選考が進んでいない or 他社の内定を持っていない
⑥志望動機がシンプルすぎる(ex. ものづくりに携わりたい等)
⑦最低限の身だしなみが出来ていない
⑧はきはき喋らない
数字は原因として重要と思われる順である。
実際基本的な事ばかりなので、対策できる(あるいはある程度の演技でカバーすることになる)ことばかりである。もっとも、どうやらこれらが足りなかったばかりに一年を棒に振っているわけで、全く偉そうなことは言えない立場なのだが・・・
一緒に就活している友人でもいれば、就留する前にこの辺の勘所というか雰囲気を何となくつかめた可能性はある。孤独な大学生活を送っていると、就活時にこんなリスクがある、ということかもしれない。
就活8
M2の冬、一学年下の合同説明会に改めて参加した。たしかビッグサイトだったはずだが、これが人生初の普通の合説(豪雪)体験であった。
実は、M2の5月頃に学内説明会に行ったとき、ある企業の人事担当者が以下のようなことを言っていた。
・この時期まで活動しているみなさんの就活内容は、もしかしたらあまり納得いくものではないのかもしれません。
・ですが残念ながら、弊社含め主要企業の新卒採用の大部分は既に一段落していて、これから一部で始まる二次募集はかなり狭き門です。
・もし内定のないまま卒業して次年度弊社に応募しても、採用の見込みはかなり厳しくなります。(言外に、既卒は取らないとのことらしい)
・ですので、留年して再度就活されるというのも一つの選択肢かもしれません。
・皆さんのような優秀な人材を企業が活用できない事態は大変惜しく、新卒一括採用という現時点でデファクトスタンダードな枠組みに対しては賛否両論ありますが云々・・・
まあ有体に言うと就留のすすめ的な内容であった(勿論、明言はしていないものの)。
企業がその種の仄めかしをしていいのか?とかなり首をかしげたが・・・
そういうルールのゲームなら仕方ない、とも言えるし、そんなおかしなルールがまかり通るのは許せん、現状を変えるべきだ、という考えもあるだろう。
この、就活において「新卒チケットが強すぎて既卒が不利すぎる問題」だが、2018年時点で多少は緩和されているのだろうか?
就留のメリットは、まあ大してないのだが、その最大のメリットと言えるものは「とりあえずもう一年、既卒にはならずに済む」という点に尽きるのだろう。
この人事担当者の言葉が自分が就留を決めた決め手、という訳では全くないが、あとから思い返すといろいろ考えさせる話だったと感じている。当時の○クルート社謹製就活システムに対する人事の本音の一部みたいなものとか。