Anno Dominiの意味

西暦で使われる表記ADはラテン語"annō Dominī"の頭文字である。

これを日本語に直訳するとどうなるのか?日本語ウェブ上では複数説が並存しているようなので列挙してみる。

 

西暦 - Wikipedia

①日本語版Wikiによれば、"anno domini"は「主(イエス・キリスト)の年に」という意味である。つまり「主の年に」という説。

 

西暦紀元 - Wikipedia

②こちらのWiki「西暦紀元」によれば、「その年の主」の意味。

 

anno Domini - ウィクショナリー日本語版

③一方Wiktionary日本語版によれば、「主の年より」の意味。

 

日本語表現の幅を考慮しても、どうも①~③はそれぞれ別の内容を言っており、互いに矛盾しているように思われるのだが…。

 

元のラテン語については②のリンク先の記載が詳しいようなので以下転載する。

"西暦紀元を意味する中世ラテン語anno Domini」は「その年の主」を意味するのだが、多くの場合、元々の語源の句である「anno Domini nostri Jesu Christi」からそのまま意味を抜き出して「その年の主」の代わりに「その年の救世主イエス・キリスト」と訳される。" (引用終わり)

 

ラテン語"Domini nostri Jesu Christi"は「われらのキリスト・主の」と訳されるのが妥当なところであり、"Domini"だけなら「主の」であろう。("Domini"は"Dominus"「主」の属格)

ということは、この時点で②の「その年の主」という訳はちょっとおかしいのでは?という格好になる。

 

次に①と③の違いについてだが、これは"anno"をどう訳すかという点に集約されるだろう。"anno"は"annus"「年」の奪格。

ラテン語の奪格は和訳するときに中々ややこしい格であるらしく、以下の意味プラスアルファを含む。

・分離の奪格:~から

・手段の奪格:~で、~を用いて

・時の奪格:~に

(※他にも用法があり、「奪う」という語感からはだいぶ離れた意味を含んでいる)

つまり、①「主の年に」は"annō"を「時の奪格」として、③「主の年より」は「分離の奪格」として解釈しているようだ。

③説の場合、分離の奪格に対応する何らかの動詞が省略されているというイメージなのかも?

 

Anno Domini - Wikipedia

ちなみに英語版Wikiでは"anno Domini"を"in the year of the Lord"と訳しており、①説「主の年に」に該当するようだ。ということは①説が適正なのかな?