古代ローマとエトルリア人
古代ローマはエトルリア人を吸収・同化したが、エトルリア人はローマに抵抗なく受け入れられたのだろうか?
王政時代にはエトルリア人がローマ王になったりしており、ローマ人と対等に扱われていたように思っていた。なので平和裏にかつ自然に同化が進んだものかと。
しかしスペイン語"tosco"「荒っぽい、野蛮な」の語源がラテン語"tuscus"「エトルリア人」であることを知って、もしかして彼らは生粋のローマ人からは蛮族視され、差別にさらされていたのではないか?とふと思ってしまった。
Wiktionaryには以下のようにある。
From Vulgar Latin tuscus (“Etruscan”), from Latin Vicus Tuscus (the dwellers of Vicus Tuscus in Rome had a bad reputation).
「 ローマのVicus Tuscus(エトルリア通り)の住人は評判が悪く、荒っぽい・素行の悪い様子を"tuscus"(エトルリア人/エトルリアの)と言うようになった」
エトルリア通りの成り立ちについては以下リンク参照。
ja.wikipedia.orgエトルリア王ポルセンナはBC508頃ラティウム同盟の都市アリキアを包囲したが、結果敗退した。その敗残兵の一部がローマに流れ着き、何故か歓迎されて住み着くことになった一帯が後の「エトルリア通り」"Viscus Tuscus"である。
...ということで、エトルリア通りの住民の素行が悪かったわけであり、その住民が必ずしも皆エトルリア系とは限らないと思われる。
これは、古代の民族名がそのまま普通名詞化/形容詞化したヴァンダル族(→英vandalism)、フランク族(→英frank)とはちょっと毛色が違う成り立ちのようである。なのでエトルリア人が差別されていた疑惑についてはひとまず保留します...