パトロン・パターン・メセナ/パターナリズムとパターン主義
父権主義・温情主義などと訳される英語"paternalism"=「パターナリズム」。
この語の語源だが、直にラテン語"pater"を参照する説が日本語ネット上でしばしば見かけられる。だが、見ればわかる通りこの語は形容詞"paternal"「父親の」+接尾辞"ism"という構造を取っており、少なくとも英語"paternal"を経由しているのだろう。従って流れとしては以下の通り(Wiktionaryによれば)。
(羅)pater「父親」→(羅)paternus「父親の」→(俗ラテン)paternālis「父親の」→(古フランス語)paternal「父親の」→(英)paternal「父親の」→(英)paternalism「父権主義」
初めて「パターナリズム」なる言葉を目にしたor耳にしたとき、少なくない日本語話者が「パターン主義?」と連想すると思われる。もちろん、父権主義と「パターン」はあまり関係ない。「パターナル」と「パターン」で「パ」の発音が違う上に強勢の位置が違うので、おそらく英語圏ではこの種の勘違いはほぼ起きないのだろう。
※前者は "pəˈtɜː(ɹ)nəl"、後者は"ˈpat(ə)n" or "ˈpætəɹn"。
それでも何故「"paternal"パターナル(父親の)」と「"pattern"パターン」が単語としてこれほど似ているのかというと、同一語源を持つからであり、すなわりラテン語"pater"「父親」に合流する。
因みに、ラテン語"pater"から生じた重要な(?)英単語として、"patron"「パトロン・スポンサー」も挙げられる。
ラテン語 | pater | pater | pater |
父 | 父 | 父 | |
ラテン語 | patronus | patronus | paternus |
庇護者・スポンサー | 庇護者・スポンサー | 父親の | |
古仏 | patron | patron | paternal |
庇護者・スポンサー | 庇護者・スポンサー | 父親の | |
英 | patron | pattern | paternal |
スポンサー | パターン | 父親の | |
英 | - | - | paternalism |
パターナリズム | |||
父権主義 |
スペイン語ではさらにややこしく、ラテン語patronusから派生した(西)patrónが「パターン」と「スポンサー」の意味を持ち、さらに「上司」の意味も加わる。
さらに(日本人にとって)ややこしいことに、(西)patrónは「スポーツのスポンサー」は表すが、「芸術振興のスポンサー」としてはあまり用いられないという点。じゃあ後者を表す時にどの単語を主に使うかというと(西)Mecenasである。日本語でも企業による芸術への支援をメセナ活動というが、あれと同じ語源を持つ(古代ローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心マエケナス)。
実は「パターン主義(パターニズム)」とでも言うべき英単語"patternism"は実在し、「パターン主義者(パターナリスト)」"patternalist"も、一応存在する言葉である。
"patternalist"を使ったのは、日本ではシンギュラリティで有名なレイ・カーツワイル。
その著作"Singularity Is Near"の一文で、"patternalist"なる単語を使用(というか創作)している。
ここでは、テセウスの船よろしく人体を構成している粒子は常に入れ替わっているが、粒子の配置パターンは概ね保存されており、このパターン(=情報パターン)こそが実在のベースである、という考え方に「パターン主義」の名を与えている。
www.bookbrowse.comMuriel Rukeyser says that 'the universe is made of stories, not of atoms.' In chapter 7, I describe myself as a 'patternist,' someone who views patterns of information as the fundamental reality. For example, the particles composing my brain and body change within weeks, but there is a continuity to the patterns that these particles make. A story can be regarded as a meaningful pattern of information, so we can interpret Muriel Rukeyser's aphorism from this perspective.
詩人のミュリエル・ルーカイザーは、「宇宙は、原子ではなく物語でできている」と語った。第7章で、わたしは自分のことを「パターン主義者」と論じるつもりだ。情報のパターンこそが現実の根本だと考える人のことをこう言う。 たとえば、わたしの脳や身体を構成している粒子は数週間で置き換えられていく。それでも、これらの粒子が形作っているパターンには継続性がある。物語は、情報でできた意味のあるパターンと見なすことができる。 だから、ミュリエル・ルーカイザーの警句も、そういう観点から解釈することが可能だ。
ミュリエル・ルーカイザーは米国の詩人。彼女の1969年発表の詩集The Speed of Darkness「暗闇のスピード」に以下の一節がある。
"The Universe is made of stories, not of atoms. "
「世界は原子でできているのではない。物語でできているのだ」
※関係ないが、この詩集のタイトルはエリザベス・ムーンのSF小説「くらやみの速さはどれくらい(Speed of dark)」の元ネタなんだろうか...
最後に。パターナリズム(父権主義)と対になる「マターナリズム」なる語(「母性主義」とも)もあるが、日本ではまだあまり人口に膾炙していないと思われる。対義語、というわけでもないのかな。
スペイン語の左右
スペイン語では
(西)derecha:右
(西)izquierda:左
であるが、文語としては以下の単語も存在する。
(西)diestro:右の、器用な
(西)siniestro:左の、不吉な
これらの語源は以下のラテン語である。
(ラテン)dexter:右
(ラテン)sinister:左
「右」を意味するラテン語が「器用な」を意味するようになるのは直感的に分かりやすい。基本的に右利きが多数派だし。
しかし、なぜ「左」が不吉な意味を持つようになったのか?
実は「左」の良し悪しに関する慣用句がある。
(西)empezar con el pie izquierdo:左足から踏み出す
→最初から間違える、的な意味らしい。
これはどうもラテン語からの借用で、ラテン語では"sinistro pede profectus"と。多くのジンクスを持っていた古代ローマ人にとって、ある場合において左は縁起の悪い方向であった。
...が、ややこしいのはその真逆の用例もあるらしいということ。
Wiktionaryによれば、ウェルギリウスは牧歌において左側のカラス(sinistra cornix)を吉兆として描いているそうだ。
というわけで原文を検索してみると、なんと早大の先生の訳と注釈つきのテキストがネットにアップされている。素晴らしい...
http://jairo.nii.ac.jp/0069/00000332
「モエリスとリキュダス」ウェルギリウス「牧歌」第9歌 訳:野村圭介
Quod nisi me quacumque nouas incidere litis ante sinistra caua monuisset ab ilice cornix, nec tuos hic Moeris nec uiueret ipse Menalcas.
もしカラスが,左手のカシの木の空(ウロ)から,何がどうあれ悶着は打切れ,と忠告してくれなかったら,このモエリスも,メナルカス自身も生きてはいないだろうよ。
左が吉兆のジンクス、という前知識が無いと、なんで左なんだ?となりますねこれは。
ちなみにここでいう「悶着」とは、共和政ローマ最後の内乱にオクタヴィアヌスが勝利、配下に褒美の土地を配分するため、敵対派閥に属していた貴族の所領を大量に収容した際、ウェルギリウスの父親の農園も召し上げられてしまったことを指しているらしい。
※以下、ローマ人とsinister「左」についての文章(英語)。ご参考まで。
books.google.clanteとsinistraについて詳述
ローマ人にとって左は幸先の良い方向だった。
ローマ人にとってのsinister「左」の吉凶の評価はどのように変遷し、そしてやがて吉兆の意味を失ってスペイン語siniestroに至るのか?ここまで調べて力尽きました...
古代ローマとエトルリア人
古代ローマはエトルリア人を吸収・同化したが、エトルリア人はローマに抵抗なく受け入れられたのだろうか?
王政時代にはエトルリア人がローマ王になったりしており、ローマ人と対等に扱われていたように思っていた。なので平和裏にかつ自然に同化が進んだものかと。
しかしスペイン語"tosco"「荒っぽい、野蛮な」の語源がラテン語"tuscus"「エトルリア人」であることを知って、もしかして彼らは生粋のローマ人からは蛮族視され、差別にさらされていたのではないか?とふと思ってしまった。
Wiktionaryには以下のようにある。
From Vulgar Latin tuscus (“Etruscan”), from Latin Vicus Tuscus (the dwellers of Vicus Tuscus in Rome had a bad reputation).
「 ローマのVicus Tuscus(エトルリア通り)の住人は評判が悪く、荒っぽい・素行の悪い様子を"tuscus"(エトルリア人/エトルリアの)と言うようになった」
エトルリア通りの成り立ちについては以下リンク参照。
ja.wikipedia.orgエトルリア王ポルセンナはBC508頃ラティウム同盟の都市アリキアを包囲したが、結果敗退した。その敗残兵の一部がローマに流れ着き、何故か歓迎されて住み着くことになった一帯が後の「エトルリア通り」"Viscus Tuscus"である。
...ということで、エトルリア通りの住民の素行が悪かったわけであり、その住民が必ずしも皆エトルリア系とは限らないと思われる。
これは、古代の民族名がそのまま普通名詞化/形容詞化したヴァンダル族(→英vandalism)、フランク族(→英frank)とはちょっと毛色が違う成り立ちのようである。なのでエトルリア人が差別されていた疑惑についてはひとまず保留します...
スッラの墓碑:最良の友人にして最悪の敵
米第一海兵師団のモットー"No Better Friend, No Worse Enemy"
日本版Wikipediaでは「より善き友、強き敵」と訳しているが、この元ネタとなったのは古代ローマの独裁官スッラの(自作の)墓碑銘であり、その英訳とされているのは以下の通り。
"No friend ever served me, and no enemy ever wronged me, whom I have not repaid in full."
塩野七海は「ローマ人の物語」で、恐らくこれに対応する日本語訳として「味方にとっては、スッラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては、スッラ以上に悪しきことをした者はなし」としている。
このユニークな墓碑銘はおそらくラテン語で刻まれていたと思われる。ではオリジナルのラテン語では何と言っていたのか?
下記リンク先フォーラム(英語圏)が興味深いので、以下抄訳する。
「例のスッラの墓碑銘、ラテン語では何て言ってたの?」
「検索すると2パターン見つかるんだけど」
①NVLLVS AMICVS MELIOR NVLLVS INIMICVS PEIOR
②Nec amicus officium nec hostis iniuriam mihi intulit, cui in toto non reddidi
「それは単なる言い換えだね。スッラの墓なんて当然現存してないはずだけど、この墓碑銘の出典はプルタルコスがギリシア語で書いた英雄列伝なんだよ。ギリシア語のテキストを当たってみる必要があるね」
「プルタルコスはこう書いている」
οὔτε τῶν φίλων τις αὐτὸν εὖ ποιῶν οὔτε τῶν ἐχθρῶν κακῶς ὑπερεβάλετο
「これを英訳してみると次のようになる」
None of his friends surpassed him in returning kindness, nor any of his enemies in returning evil(彼の味方にとって彼以上に恩に報いた友人はおらず、彼の敵にとって彼以上に仇をなす相手はいなかった)
「さらにこれを自分なりにラテン語訳してみたよ」
neque amicorum quisquam ipsi in bene agendo, neque inimicorum in male excelluit
「プルタルコスはスッラの墓碑の要約をギリシア語で残したけど、それだけを手掛かりにオリジナルのラテン語を推測するのは非常に困難だね...」
以上引用終わり。ラテン語ギリシア語両方できる人が、貴重な知見を披露していました。
ちなみに、プルタルコスのギリシア語を英訳している本があった。
books.google.cl"No one of the citizens by his deeds, nor anyone of the enemies by his evil enterprises, could surpass him"
なにやら若干ニュアンスが違うような(?)
ジパングあるいはシパンゴ
Cipango - Wikipedia, la enciclopedia libre
いわゆる黄金の島ジパングーZipanguとしておなじみの名前だが、欧州ではCipangoあるいはCipanguがメインであり、イタリア語でややZipanguの用例が見られる、という程度らしい。
シパンゴ・シパングだと違和感がちょっとすごい(笑)
帰刃(レスレクシオン)とかいうスペイン語
ブリーチの破面(アランカル)編にはオサレなスペイン語が沢山散りばめられていました。
例えばアランカルは恐らく"arrancar"「剥がす」ですね。
帰刃(レスレクシオン)は、「復活・再生」を意味する"resurreción"ですが、この単語の語頭のrとそれに続くrrは、いわゆる「巻き舌のr」なわけで...
無理やりカタカナ表記すると「ルレスルレクシオン」
強勢を明示するために長音符を使うと「ルレスルレクシオーン」
...という、日本語話者にとってはかなり発音が難しい語なのでした。
※しかもスペイン式の発音だと「シ」は舌を前歯で挟む"θ"になる
巻き舌のrを複数含む単語というのはスペイン語にはそれほど存在しないと思われ、スペイン語話者にとってはこの語の響きはクールなのかな?ダサいのかな?というのが若干気になります。
因みに十刃(エスパーダ)は"espada"、普通「剣」を表す女性名詞ですが、スペイン語版では複数形の表記が"Los Espadas"となっています。恐らくですが、"espada"を男性名詞として処理しているのではないかと。
※男性名詞の"espada"は「マタドール」の意味
これはちょっと不思議で、第1十刃が「プリメーラ・エスパーダ」"primera espada"と完全に女性名詞扱いになっているので、どうも用語の性が一致しないんですよね。