スペイン語の青

また色の語源の話。

スペイン語で「青」はazul。

イタリア語ではazzurro、フランス語ではbleu、ドイツ語ではBlau、そして英語ではblue。

 

英独仏には、ゲルマン語系のblue系列(印欧語根"bhel-"にまで遡る)がある。一方で西伊のazul系列は当然古典ラテン語まで遡れるのかと思ったら、そんなことはなかった。

例えばazulはアラビア語lāzawardを元に中世スペイン語から使用されているようだ。

Azul - Wikipedia, la enciclopedia libre

 

ちなみに古典ラテン語では青に該当するのはcaeruleusで、caelumは天空の意。

この単語はスペイン語の"cerúleo"、英語の"cerulean"等へと派生しているが、これらはセルリアンブルーの意味。古典ラテン語から各言語に直に(俗ラテン語を経由せず)借用されている一種の学術用語で、日常会話で頻繁に使われる色の単語ではないようだ。

 

余談だが古典ラテン語では「空色」はcaelestis。こちらはスペイン語celesteとしてしっかり受け継がれている。

古代ローマでは濃い青と空色or水色のニュアンスの違いを、caeruleusとcaelestisで区別していたのかな?スペイン語のazulとcelesteのように…。

 

疑問なのだが、スペイン語の前段階である俗ラテン語では「青」をどう表現していたのか?

アラビア語由来のazul系か、ラテン語caeruleus系か、あるいは全くの別系統の単語?

ググってはみたが皆目分からず。

 

しかしこのラテン語caeruleus系の「青」、西仏伊はもとよりルーマニア語に至るまで全く受け継がれておらずちょっとかわいそうな気が…。

 

<追記>

この、ラテン語caeruleusの影が薄い問題だが、Wikipediaの「青」の項目に既に記述があった。せっかくなので日英西それぞれのWikiから引用する。(英語、スペイン語についてはかなり意訳、及び端折っている)

 

■日本語:青 - Wikipedia

古代ローマでも青はあまり注目されず、青とされるラテン語エルレウス (caeruleus) はむしろ蝋の色、あるいは緑色、黒色を表していた(パストゥロー、p.24f.)。ローマでは青は喪服の色であり、何よりケルト人やゲルマン人などの野蛮さを象徴する憎むべき、もしくは回避すべき色であった。(中略)古代ギリシャ古代ローマとも虹の色をさまざまに分類したがそこに青が加えられることはなかった。(パストゥロー、p.28ff

※参考文献

・パストゥロー, ミシェル 『青の歴史』 松村 恵理, 松村 剛訳、筑摩書房2005年

 

■英語:Blue - Wikipedia

ローマ人も(ギリシア人と同様、インドから)藍の染料であるインディゴを輸入していた。しかし彼らにとって青は労働者の着る服の色であり、一方貴族や金持ちの服は白・黒・赤・紫色だった。また青は服喪の色であり、そして蛮族の色だった。ユリウス・カエサルガリア戦記によれば、ケルト人やゲルマン人が威嚇のために自身の顔を青く染めたり、白髪を青く染めたりしていたという。

だが一方で、古代ローマでは装飾のための青色が大いに使われてもいた。ウィトルウィウスによれば、ローマ人は青色顔料をインディゴから作ったり、またエジプトから直接輸入したりしている。ポンペイの壁画には鮮やかな青空を描いたフレスコ画があり、また同地の絵具商跡地から青色顔料が見つかっている。( Philip Ball, Bright Earth: Art and the Invention of Colour, p. 106

ラテン語には「青」を表す何種類もの単語があった。caeruleus, caesius, glaucus, cyaneus, lividus, venetus, aerius, ferreus等々である。ゲルマン語由来のblavus(英語blue等と同根)、そしてアラビア語由来のazureusスペイン語azul等の祖先)という、外来語由来の2つのみが、現在でも青を意味する単語として各言語に痕跡を残している。(Michel Pastoureau, Bleu: Histoire d'une couleur, p. 26.

※参考文献

・Ball, Philip (2001). Bright Earth, Art, and the Invention of Colour. London: Penguin Group. p. 507

・Pastoureau, Michel (2000). Bleu: Histoire d'une couleur (in French). Paris: Editions du Seuil

 

スペイン語Azul - Wikipedia, la enciclopedia libre

「青」の言語学的諸問題

ラテン語ギリシア語において、青色はその言語的な表現の乏しさで特徴づけられている。19世紀の文献学では古代ギリシア・ローマ人が青色を視認できなかった可能性を提示してすらいる。

(中略)

実際には、ラテン語には青を表す多数の形容詞があるが(aerius, caeruleus, caesius, cyaneus, ferreus, glaucus, lividus, venetus等)、これらは一義的な意味を持たず、他の色も表した。青の厳格な定義は無く、これら単語のいずれかが「青色」として一貫して使われる事もなかった。(Pastoureau, Michel (2010). Azul: historia de un color. Madrid: Paidós Ibérica. p. 31–33

※参考文献

Pastoureau, Michel (2010). Azul: historia de un color. Madrid: Paidós Ibérica. p. 31–33

 

引用終わり。さて、どの版でもミシエル・パストゥロー 『青の歴史』が出典となっているのがわかるだろう。機会があれば目を通したいと思う。本書はフランス語で2000年に発行されているが、西語訳が2010年なのに対し和訳が2005年と、5年も早いのが興味深い。

また、英語版Wikiからは思わぬ収穫があった。ラテン語で「青」を表すblavusとazureusという2単語に出会った点である。Wiktionaryから芋づる式に、ラテン語*blāvusからスペイン語blaoが生じたとおぼしき事も分かった。blaoは古風な表現に留まり、日常的には使われないようではあるが。

しかし、Wiktionaryによると*blāvusは「再建された」古典ラテン語なのだが

Reconstruction:Latin/blavus - Wiktionary

現存するラテン語のテクストには*blāvusは登場しないということなのかな?

 

blancoの語源

スペイン語で「白色」に相当する単語はblanco。

イタリア語ではbianco、フランス語ではblanc。

これらに共通する語源は当然ラテン語、というか古典ラテン語まで遡れるのだろうと何となく思っていたのだが、そんなことはなかった。

 

Blanco - Wikipedia, la enciclopedia libre

上記Wikiによれば、

ゲルマン祖語:*blangkaz(輝き)→ゲルマン語派の何か(フランク語か?):*blank(輝き)→俗ラテン語:*blancus→スペイン語:blanco

という進化をたどっているという。

フランク族に代表されるゲルマン諸勢力が現在のフランス、イタリア半島イベリア半島を飲み込んでいく中で、ゲルマン語が現地の俗ラテン語にある程度影響を与えたであろうことは想像できる。

因みに上記Wikiによれば、カステジャーノ(スペイン語)におけるblancoの初出は1140年から。意外と新しい。まだイベリア半島イスラム勢力が残っていた時代である。

 

じゃあ由緒正しいラテン語では「白」を何と言っていたのかというと、albusが該当する。スペイン語にはalbo(白い)という形で残っているが、詩的表現に用いられるぐらいで日常会話ではあまり使われないようだ。

 

このゲルマン語の「白」:blankは英語では"blank"(空白)として受け継がれているようだが、面白いのは日常的な色の名前としては全く別の語である"white"があるという点だろう。

こちらは、ゲルマン祖語:*hwitaz(これも「輝き」の意)→古英語:hwit→英語:white

という流れ。(下記Wikiリンク参照)

white - Wiktionary

 

余談だが、ネット上に「英語のblack、blankは同語源であり、blankは本来『白』の意味なので、白と黒が同じ語源を持っている」という内容が散見される。というわけでblackの語源もWiktionary先生に聞いてみた。

black - Wiktionary

ゲルマン祖語:*blakaz(焼け焦げた)→古英語:blæc→英語:black

とあるが、blackの語源がblankと合流するという記述は見つけられず…

 

参考までに英語のblankの語源は以下の通り。(Wiktionaryによれば)

ゲルマン祖語:*blangkaz(輝き)→フランク語:*blank→古フランス語:blanc→中英語:blank, blonc, blaunc等→英語blank

blank - Wiktionary

 

英語においてblankもかつては「白い」という意味を持っていたようだが、現代英語では「空白」を専ら表すようになり、blank=「白」は詩的表現に限られるようだ。スペイン語においてラテン語由来の"albo"がゲルマン語由来の"blanco"にその座を譲ったのと似ていて、ちょっと面白い。

 

<追記>

上記Wiktionaryリンク先では各単語に対応する印欧祖語についても触れられているが、印欧祖語まで遡ってもblackとblankの語源(*bʰleg- と *bʰleyǵ-)は合流しない。

ただし、ものすごく似通った字面ではある…というか最初の4文字が共通しており、素人目に見ても親戚関係にある語だという感覚を持つ。

印欧祖語の語幹をグループ分けした印欧語根まで遡ると、初めてblackとblankの共通祖先とでもいうべき"bhel-"に辿り着いた。備忘録代わりに追記しておくことにする。

以下の日本語サイトで、英単語とそれに対応した印欧語根を検索できる。個人的に非常に興味深いサイトで、人によっては際限なく読みふけってしまうのではなかろうか。

ハイパー英語語源辞書

 

"bhel-"は「輝く、燃える、白」等の多様な意味を含み、そこから膨大な語彙が子孫の言語(英独仏西伊.etc)に生じている。英語ではblue, bleach, blind, blond, blanket, black, flagrant, flameなどである。ここまで多様に適応放散してしまっている場合、単語AとBが同根だからといってだから何なんだ?とは思わないでもない。

www.thefreedictionary.com

上述した通り、blueもblackやblankと同根である。また、blankは日常英語では色の意味合いを失った一方で、blueは色の名前として元気に命脈を保っている。これら3つの単語の進化の流れを(主にWikitionaryを情報源に)表にすると以下の通り。

印欧語根 *bhel-
(輝く、燃える、白等)
*bhel-
(輝く、燃える、白等)
*bhel-
(輝く、燃える、白等)
印欧祖語 *bʰleg-
(燃える、輝く)
*bʰleyǵ-(輝く) *bʰlēw-
(黄、金髪、灰色)
祖ゲルマン語 *blakaz(焦げた) *blankaz(白、輝く) *blēwaz
 (青、ダークブルー)
フランク語     *blāw, *blāo(青)
フランク語   *blank (輝く、白)  
俗ラテン語   *blancus,  
古フランス語   blanc  
古英語 blæc(黒、インク)   *blǣw 
中英語   blank, blonc, blaunc blewe,
英語 black blank blue

英語における接続法

スペイン語の接続法の使い方がとても難しい。
日本語では直説法/接続法なんて区別しないし、直感的に非常にわかりづらい。

 

先日、神戸市外国語大学の以下の論文を見つけた。

日本語に接続法は存在するか? 福嶌教隆, 2015

数百年前に日本を訪れた西洋人、主にスペイン・ポルトガルから来たキリスト教伝道師たちが日本語を理解しようとする中で、日本語には存在しない接続法を想定し、日本語のいくつかの言い回しを接続法として分類しようと試みていたという点が非常に興味深かった。

結論から言えば日本語には接続法は無いし、西洋人たちもしばらくしてそのことに気付くわけだが、個人的には少し違和感を持った。
それは、
「接続法って例えば英語にも無いよね?」
「何故、日本語が接続法を持たない言語である可能性をまず疑わなかったのか?」

 

この疑問は、ちょっとググればすぐに解決した。
「そもそも英語には接続法がある」

接続法 - Wikipedia

Wikipediaの上記ページにも書いてあるが、英語の

①仮定法過去:定番の"If I were a bird, I could fly."とか。

②仮定法過去完了:"If I had caught the train, ..." 「電車に間に合ってれば云々」とか。

等はスペイン語ポルトガル語等における接続法と同種の「法」"mood"ということになるらしい。※太字部分の動詞or助動詞が接続法をとっている。

①・②のケースは文法用語としては"subjunctive mood"に分類される。この"subjunctive mood"、和訳するならやはり「接続法」とするのが自然なのだろう。何故日本人は「仮定法」という用語を編み出したのだろうか…?

 

そしてさらに、Wikipediaにある3番目の「英語の接続法」例が

③仮定法現在:「彼がここにいる事が必要だ」"It is necesary that he be here."

である。自分はおそらく、学校で全くこれを習わなかった。(つまり大学受験英語の範囲外なのか?)習っていないがゆえに、that節の動詞が原型になっている上記の例文には違和感を覚える(笑) 。that節以下を"...that he should be here"とする事もでき、この場合も仮定法現在に分類されるらしい。しかしshouldはshallの過去形なのでは…?それにこのケース③は「仮定」という語のイメージからはかなり離れた用法だと思われる。

 

因みにGoogle翻訳スペイン語→英語をやってみると、

西:Es necesario que él esté acá.

英:It is necessary that he be here.

としっかり接続法で訳してくれた。

 

英語も一応接続法を持つということが分かったが、どうやらインド・ヨーロッパ語族は基本的にこのmoodを持つらしい。ということは英語の接続法はフランス語やあるいはラテン語の影響とかではなく、はるか昔の印欧祖語から受け継がれてきたのだろうか。

 

想像するに、16世紀に日本に来た伴天連達においては、中国語のような(接続法を持たない)非ヨーロッパ言語の素養を持った者は限られていたのではないか。それゆえ、冒頭に紹介した論文にあるように、日本語に接続法が無い、という可能性を見落としていたのではないだろうか。

ワリェペン

ボルヘスの幻獣辞典に、チリ先住民の伝承に登場する牛と羊の姿をした妖怪、ワリェペンが紹介されている。

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スペルはHuallepenである。 柳瀬尚紀訳ではこれにワリェペンという読みを与えているが、これはスペイン本国(カスティーリャ方言)の読み方である。

南米のスペイン語では多くの場合llの発音がyの発音に近くなる「ジェイスモ」現象が起きるため、Huallepenの発音は必ずしもワリェペンではなくなる。

例えばチリ中部でこの単語を読むなら、「ワジェペン」であろう。

ボルヘスはアルゼンチン人だが、ブエノスアイレス風のジェイスモならば「ワシェペン」が近いだろうか。

就活11

自分の場合、本命の企業とその同業他社数社、さらに面接の練習のために金融を複数社受けた(えてして金融系の面接は他業界より早く始まるので)。2業界で約30社というのがエントリー数で、就留しているわりに大した数ではなかった。

 

もう書いてしまうが、結局M3の5月頃までに第二志望の企業と金融一社から内定を貰い、自分の丸1年近く続いた就活は終わった。意外とあっけないもので、30社しか受けていないのは短期で決まってしまったためでもある。

見方によっては東大院生が売り手市場ですんなり内定を得ただけであり、実際その通りなのだが、その前年には同じ人間が企業から門前払いを受け続けていたのも事実である。

 

当たり前の話だが、就活市場は売り手と買い手のバランスで成り立っており、いかなる状況でも同じ学生に同じ値が付くとは限らない。

自分は売り手市場の中で就活を終えたが、後の世界金融危機に起因する超就職氷河期に就活していたら、おそらく全く違った結果となっていたことだろう。

就活がその後の人生に及ぼす影響はかなり大きいが、そこで重要な要素である、就活市場における学生の市場価値が外部環境にかなり左右される点は留意しておいた方が良い。結局運の要素が大きすぎるのだ。

 

そんな人生をベットした運ゲーをプレイするため、手書きで何十枚もESを書き、時に面接で心無い言葉をかけられ、そして無慈悲に祈られたりする環境を受忍せざるを得ない、というのが当時の、そしておそらく現在も同様の就活生の状況であろう。

 

これは何とかすべき問題だと思う。自分に妙案があるわけではないが、やはり運ゲーの要素は将来的に多少なりとも緩和されるべきだろう。世代間の極端な機会の不平等は、社会の統合と安定を、極めて不安定化させるリスクがある。

しかし、当事者たる就活生は就活が終われば労働者としての生活に追われていくわけで、継続的に声を上げる主体がいない、という事でもある。また一方で、就活氷河期に不本意な就職をせざるを得なかった世代が歯をくいしばって日々を耐えているのに対し、社会は驚くほど無関心だ。

 

とりとめが無くて恐縮だが、自分の就活記として書くべきことはだいたい書いてしまった。

 

一口で東大生と言っても当然色々な背景の学生がおり、今日もどこかの学部で誰かがドロップアウトしつつある。学生数を考えると、この尤度はかなり確からしいと思う。

レールを一度や二度外れても、意外と復帰できるものだ。まあ何を持って復帰というかは人それぞれではあるが。

様々な要因で大学生活が破綻した(或いは破綻しかねなかった)学生の一事例として、自分の恥ずべき学部留年記と就活記(就留記)を書いた。

就活10

就活のポイントの一つとなるのが、同業他社を複数受けた方が学生にとって何かと得だ、という点だと思う。

企業側によくある一般的な考え方として、当社を受けるからには当社の業界そのものに興味を持っているはずであり、また同業他社がこの学生をどう判断したか(選考が進んでいるかor内定を出したか)というのはしばしば有力なエビデンスとなっているようだ。(しかしそれでいいのか?日本の大企業には学生の内面的な資質を見分ける能力がないのでは?というのは毎年提起されるテーマであろう)

同業他社を受験すると、業界の志望動機を使いまわせるので、その分ES作成にかける時間を節約できるというメリットもある。

さらに、業界1位と2位の企業のそれぞれの強みと弱みを把握したうえで、それを志望動機に反映させたら、わりと完成度の高いESになると思われる。

 

因みに留年の件は必ずと言っていいほど質問された。

自分は適当に、バイトor旅行してました、などと微妙に事実と異なる内容を喋っていたが、本件が選考に影響したかどうかは正直分からない。

一社だけ、最終の役員面接で留年の件を聞かれた会社があった。具体的に学部では何単位足りなかったの?という質問に対し、自分の場合はすぐに答えが出てこなかった。まさか正直に答える訳にもいくまい、としどろもどろになってしまい、そのせいかどうか不明だがこの会社は落ちた。

 

今回の就活に関しては、ESではねられるという経験はほとんどなかったし、各面接の選考もテンポよく進んでいった。前年に苦戦していたのは何だったんだ、という感もあるが、これが本来の学歴の力というものなのかもしれない。

学部留年10

筆を擱くと言っておいてすぐに再開してしまうのだった。

 

学部で留年する羽目に陥った状況について、かつて自分なりに分析・総括しようと試みた。いや、大学を出た後も未だにこのことを考え続けている。

 

3回生時に以下の二点を発症してしまったのが、留年の直接的な原因である。

・生活サイクルの崩壊=昼夜逆転

・講義をサボる

 

毎朝適切な時間に起きて家を出て、学校なり会社なりに出かけるという何でもない事が、ある種の人間にはちょっとした難題になりうるのだ。

 

自分は院生時代、入眠する前によく考えていた。

このまま朝目が覚めず、寝続けたら大学をサボることになる。恐らく次の日も日中は起きれず、サボり続けることになるだろう。きっとしばらくすると大学への恐怖感が産まれ、ついには二度と社会復帰できなくなるのではないか?

実は眠りは恐ろしい。

 

自分の好きなハチワンダイバーという将棋漫画に、日常と非日常、常識と不条理の世界を隔てる壁は極めて脆弱で容易に砕けてしまう、という台詞がある。そう、「薄氷一枚」である。

自分の足元の氷は、大学3年のあの日に砕けたのだ。ただそもそも自業自得な点を考えると、むしろ自分で氷を踏み抜いた上で飛び込んだといったほうが良いのかもしれないが。

 

留年で一年を棒に振ったことはもとより、半引きこもり生活だった2年弱の間にだいぶ脳が錆びついてしまったと思われるのが、返す返す悔やまれる。 

5年かかって学部を卒業した際は、これからはまっとうに生きよう、規則正しい生活を維持しよう、と思っていた。まあ、結局大学院で就留してしまうわけだが・・・